大きな失敗をして落ち込んでいる。
何もかもが嫌になった。
明るい未来なんて考えられない。
上記のような悩みに自身の体験談をお伝えし、少しでも前に進むきっかけになればと思います。
伝えたいこと
どんなに大きな失敗や挫折をしたとしても、その後の人生が終わりではありません。
未来のことは誰にもわかりません。
たとえその時がどん底だとしても、その後の行動次第で変えられることができます。
大きな失敗(事故について)
5年ほど前の話になりますが、私はタンクローリーを横転させる事故を起こしています。
原因は速度を十分に落とさなかった事により、車と積み荷(液体)に大きな遠心力がかかり車体が耐え切れずに横転。幸い単独での事故です。
最初は何が起きたのか全くわからず、前方の景色が横に流れたと思っていると次の瞬間、強い衝撃が全身を襲ってきました。
車はキャビン(運転席)がグシャグシャになり大破。タンクは頑丈に作られている事と転倒対策もされていて、中身(液体危険物)の流出はありませんでした。
奇跡的にも命に別状はなく、意識もはっきりしていましたが病院へ搬送。脳波に異常は無いが肩を骨折していることがわかり、約一ヶ月半の入院。
入院中
入院初日
会社から家族に連絡があったみたいで、妻と子供達が病院に。3人の顔を見ることでホッとし生きていることに感謝!同時に申し訳ない気持ちで一杯に…。
事故の興奮から段々と落ち着きを取り戻したのか、どこか他人事のような感覚から
体の節々の痛みを感じると同時に
いろいろな不安に襲われます。
・仕事は続けられるのか?
・家族は養えるのか?
・これからどうなるのか?
不安と恐怖に襲われ、ほとんど眠ることができませんでした。
お見舞い
入院から数日すると家族、親戚、友人、職場の同僚などたくさんの人がお見舞いに来てくれ
「元気そうで良かった」「気にするな」などの励ましの言葉に勇気づけられます。
みんなの前では明るく振る舞うが、みんなが帰ったあとはさらに落ち込みます。
事の重大さ
時間が経つにつれ、事の重大さが日に増して強くなります。新聞やTV等で取り上げられ、どんどん大きくなる不安。
会社に対しては信用を失い仕事が無くなるのではないか?
同僚に対しては仕事が激減したり、事故を起こした会社の社員と見られるのではないか?
家族に対しては、あの家の人が事故を起こしたと噂にならないか?
自身もこの先どうなるのか?
復帰できたとして運転手を続けるられるのか?受け入れられるのか?とういう不安。
なぜ慎重に運転しなかったのかという後悔。
早く体を治さなければという焦り。
昼間はまだ良いのですが、色々と考えてしまう夜が怖かったです。
ネガティブループ
さらに様々なことを悪い方向に考えてしまうネガティブループに陥ります。
会社を解雇されるのではないか
↓
この歳で再就職できるのか
↓
復職したとしても運転手は無理
↓
収入が激減し生活が破綻
↓
家のローンも払えないので売却
↓
事故前の生活には戻れない
事故を起こして、なぜ自分は無事だったのかと感情がすべて内向きに…。
退院~復職
約2週間ほどで骨がくっついたので、動かしても良いよと先生から伝えられますですが、腕が全く上がらない。頭の中が真っ白に…。
筋肉はたった2週間動かさないだけで衰えてしまうことを初めて知ります。そこからリハビリが始まり、少しづつ動かせるようになり、約1か月半の入院生活が終わります。
そこから約2週間、家で療養。動いてないと色々と考えるので、積極的に家事をします。
この時の経験から、料理以外の家事ができるようになります。(笑)
病院と違い自由に体を動かせるので気分的には楽だけど、ふとした時に不安が襲ってきます。
事故から約2か月。幸運にも解雇されることなく、もとの職場に復職となります。
初出勤は嬉しさもあると同時に、どんな顔をすればよいのか?受け入れられるのか?
といった不安で一杯になり、とても緊張した記憶があります。
復職できた喜びもありましたが、そこからさらに試練がやってきます。
事故の報告で上司をはじめ、関係職場、最後には社長と謝罪の日々。
運転手仲間は同情してくれる人もいましたが、中には陰口を言う人も…。
他部署の人からは、事故を起こした人という目で見られ、人に会うのが苦痛になりそれと同時に人間不信に陥ります。
復職から約ひと月は車に乗ることが許されず、掃除や片付けペンキ塗りと様々な雑用。
その当時の写真があるのですが、生気の感じられない顔で写っています。
救われた2つの言葉
さすがに、このままではいけないと考え、
「前向きになるには?」「事故の経験」「大失敗」「人生のどん底」様々なキーワードでネットを検索しました。
そこである2つの言葉に救われます。
こち亀両さん
1つ目が、
何かを悩むとすぐ生きるべきか死ぬべきかだからな!目の前が二者択一だ!
悩んだらまず「生きる」モードに切り替えてからスタートだ!それからどう 生きるかを探せばいい
図々しく生きる・しぶとく生きるマイペースで生きる・人の為に生きる
こちら葛飾区亀有公園前派出所より
この言葉は、秋元治先生の人気漫画
こち亀こと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公。両さん=両津勘吉の言葉です。
漫画ではなくその言葉の書いてある画像を見たのですが、
それを目にした当時の私は、完全に目の前が二者択一になっていました。
まず「生きるモード」に切り替える。
こんな単純で当たり前の事に気づくことができずにいたのです。
その後、私は「マイペースで生きる」事を選択しました。
この言葉が書かれた場面の画像は、今でも携帯に保存していつでも見られるようにしています。
改めて調べると、こち亀の98巻に掲載されているみたいです。
感謝しても感謝しきれない、私を救ってくれた言葉です。
明石家さんまさん
2つ目が、
「生きてるだけでまるもうけ」
明石家さんま
この言葉は、タレントの明石家さんまさんの座右の銘で、禅僧の教えでもあるそうです。
なぜ生きてるだけでまるもうけなのか、生きるって辛いことばかりではないかと最初は理解できずにいました。
「今、現に生きていることこそ全てだ。それ以外に何を求めるのだ」との意味を知り
そのシンプルで現実的な言葉が心に響きました。
生きていると楽しいこと以外に、辛いことや苦しいこと、様々な困難に見舞われるけどそれで良い。今、生きているじゃないか!これからどうなるかは誰にもわからない。という前向きな気持ちにさせてくれました。
それ以外にも家族の存在がありました。
妻や子供達の同情や憐みのない、心からの言葉や支えにどれだけ救われたかわかりません。
家族の為にも生きなければと決意します。
その後
事故を起こしたのは事実。変えられない過去は受け入れることにしました。
誰にもわからない未来の事について悩むことをやめ、一日一日をただただ、一生懸命に過ごし、
余計なことを考えそうになると、目の前の作業に集中するようにしました。
乗車することも許されて、仕事も段階的にさせてもらえるようになり、少しづつですが自信を取り戻します。
現在
今では事故を起こす前と同様に、仕事に制限もなく働くことができようになりました。
復帰後も事故のことを忘れた事は一度もなく、ふとした瞬間に頭の中に浮かんできます。
社内の評価も下がり、同僚や後輩に評価や昇給で抜かれる事になります。
もちろん悔しい気持ちはありますが、マイペースで生きる事を選択した自分には不思議と焦りは感じませんでした。
どん底を経験して
会社・仕事に対して
解雇とならなかった事、運転手として復職できたことに関しては感謝しています。
しかし、思うように仕事ができなくなり給料が激減したときに、当然ですが支えてくれる事はなく
どんなに貢献していたとしても、自身は交換できる歯車の一つでしかなかったと気付かされます。
事故から復帰して以降は、仕事中心といった考えはなくなります。
ですが、多くの方に迷惑をかけたのは事実なので、おこがましいですが少しでも恩返ししようと、ある活動をしています。
自身に対して
事故について、今となっては良い?経験として前向きに考えることができるようになりました。
どん底を経験し、大抵の事は大したことではないとメンタルが強くなった気がします。
事故を起こし、自分の中での仕事に対する考えが一変します。
会社に依存しすぎない方法を考えるようになり、ブログをはじめ副業で稼ぐことを意識するように
なります。
後悔のない人生を
最近学んだ言葉で、PTG(心的外傷後成長)というものがあります。
それはトラウマレベルの出来事を経験したとしてもそれを受け入れ、乗り越えることで、その後大きく成長することがあるそうです。
何かに悩んだら、まずは「生きる」モードに切り替えて、それからどうするか?
今、私は「マイペースで生きる」+「図々しく生きる」の欲張りな状態です。
一度きりの人生、誰の為でもなく自分の為に、最後に振り返った時に笑えるように
後悔のない人生を送りたいと思います。
長々と拙い文章ですが最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
この記事で、少しでも気持ちが楽になる方がいらっしゃれば幸いです。